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ハンズオン墓地

町の片隅の静かな場所に位置するハンズオン墓地はベトナム人にとって非常に神聖な場所です。フランス植民地時代に流刑地として刑務所の島になっていたコンダオですが、収容されていた多くがベトナム全土から集まった反植民地主義、独立運動家などの政治犯でした。フランスやアメリカの植民地主義に抵抗して国のために戦い、コンダオで命を落とした人たちが英雄としてこの場所に眠っています。コンダオに収容されていた囚人の中には、釈放後に有名な政治家や指導者になった人もいますが、多くが島を離れることなく栄養失調、虐待、病気、重労働、処刑などでコンダオで命を落としました。死者のほとんどはコンソンの町の裏山に捨てられましたが、1975年、彼らの遺骨が収集されハンズオン墓地に埋葬されました。以降、多くのベトナム人が聖地としてこの場所に祈りを捧げに訪れています。きれいに整備された墓地と熱心にお参りするベトナム人を見て、雰囲気だけでもこの場所の大切さとベトナムの歴史を感じることができる場所です。

英雄Võ Thị Sáuのお墓と併せて訪れたい司法警察署跡

コンダオ刑務所の中でも最も有名なのがVõ Thị Sáuです。1952年、わずか19歳で処刑されコンダオで処刑された最初の女性となりました。ハンズオン墓地にあるVõ Thị Sáuのお墓と記念碑はベトナム人にとって最も有名な観光スポットの一つです。
14歳から反植民地運動に加わり、フランス軍とフランス側のベトナム人将校への襲撃作戦に参加していましたが、その過程で逮捕され死刑判決を受けます。公判当時まだ18歳に達してなかった彼女を弁護人は年齢に基づいて死刑を免除するように主張しましたが、フランス軍事政権はこれを覆さず、この判決がベトナム世論に衝撃を与えて以降フランスに対してのより強い反感を引き起こしました。そのためフランス軍は公に彼女の死刑を執行することができず、ベトナム本土に収容されていた彼女は1952年1月、秘密裏にコンダオへ移送され死刑が執行されました。
「私は立つことだけを知っていて、ひざまずく方法を知りません。」「私がただ後悔しているのは、国を略奪した植民地主義者たちと国を売った従者たちをすべて滅ぼせなかったことだけだ。」多くの影響と不朽の言葉を残した彼女は死後に国によって殉教者と認定され、英雄の称号を与えられました。ハンズオン墓地では若さを象徴する櫛と鏡をもってお参りに訪れるベトナム人の姿が見られます。
また、町の中心部にある司法警察署跡地は彼女がコンダオに移送された後一晩拘留された場所として知られており、小さな記念館になっています。

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