チュニジア大使館主催の研修旅行で北アフリカのチュニジアへ行ってまいりました。 「チュニジア」 と言えば、世界史でも勉強したカルタゴが真っ先に浮かびます。 北部は地中海に面しており、南部はサハラ砂漠の入口という“海”と“砂漠”が混在した国です。その特異的な地形ももさることながら、世界遺産を7つも抱え、ミリョクいっぱいのイスラム文化薫る国なのです。 今回の研修は世界遺産を7つ中4つも視察する内容もりだくさん!ホテルもすべて4つ星・5つ星ホテルに宿泊する豪華研修!では、その研修模様をご報告します。
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日数:5日間
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チュニジアへのアクセスはヨーロッパ経由が一般的ですが、今回は2005年4月関空就航の最新鋭の翼、カタール航空で行きました。
日本を夜出発して、翌日の夕方にチュニジアへ到着するスケジュールです。 仕事帰りにそのまま空港へ直行(おまけに羽田空港!)できることもあり、人気の航空会社なのです。
(写真:左) 当分食べられないので和食をチョイス
(写真:中央) 中国、インド上空を通りカタールへ
(写真:右) カタール航空の最新鋭機A330-200
翌朝、カタールの首都ドーハに到着しました。ここで1回乗り継ぎ。チュニス行きの便までの待ち時間、ドーハ市内観光へ出発しました。ドーハの模様は最後にご案内します。
ドーハでの観光後、カタール航空でチュニスへ。カタールとチュニジアは意外に遠く、6時間のフライトでした。
(写真:左) 夕暮れのチュニス・カルタゴ国際空港
(写真:中央) 我々を乗せてチュニジアを走破してくれたバス
(写真:右) チュニス市街を見下ろすシェラトンに宿泊
ポエニ時代のカルタゴ遺跡とローマ時代の遺跡が残るカルタゴ。
チュニスからは車で30~40分の場所にあります。 ローマによって滅ぼされた、フェニキア人によるカルタゴ市の中心があった丘 「ビュルサの丘」 、1890年に建設されたカルタゴからの出土品が充実している 「カルタゴ博物館」 、ポエニ人の墓地 「トフェ」 、古代カルタゴの繁栄を支えた円形の軍港を観光しながら、カルタゴ遺跡のハイライトでもある広大な共同浴場 「アントニヌスの共同浴場」へ向かいます。
(写真:左) ポエニ時代の住居もあるビュルサの丘
(写真:中央) 繁栄を極めたカルタゴの全景
(写真:右) カルタゴ博物館の巨大なモザイク壁画
(写真:左) 生贄の幼児を供養した墓地・トフェ
(写真:中央) アーチ型天井をもつローマ時代の穀物庫
(写真:右) カルタゴの繁栄を支えた円形の軍港
海を背景に建てられた広大な公共浴場「アントニヌスの共同浴場」は2世紀にローマ時代の五賢帝によって建設されました。
更衣室、温浴風呂、水風呂、サウナ、プール、噴水、談話室、トイレなど100を超える部屋が当時のローマ人の風呂へのこだわりを感じさせます。
(写真:左) 円柱や柱には大理石が使われました
(写真:中央) 海を望む絶景のロケーションに建つ浴場
(写真:右) アントニヌスの共同浴場の復元模型
今回の研修で楽しみにしていたシディ・ブ・サイドはチュニジアンブルーと真っ白な壁が映える町です。
南地中海に面した岬の丘の上にあるシディ・ブ・サイドは石畳の坂道、白壁の家、鮮やかなチュニジアンブルーのドアや窓枠がいつも目に飛び込んできて、その豊かな色彩に心洗われる気分です。
(写真:左) 白と青の建物が続く中心の大通り
(写真:中央) 通りの両側には土産物屋が軒を並べています
(写真:右) チュニジアンブルーの色鮮やかな皿の数々
(写真:左) シディ・ブ・サイドのシンボルのカフェ
(写真:中央) 海を望む絶景のレストラン
(写真:右) チュニジアンブルーの色鮮やかな扉
チュニス市内に戻り、北アフリカ地域を代表する考古学博物館「バルドー博物館」へ行きました。
バルドー博物館の一番の魅力は、モザイクです。モザイクとは大理石、陶器、ガラスなどを小片にし、それをはめ合わせてさまざまな絵画を描き出す芸術のことです。
カルタゴ遺跡の出土品やチュニジア各地で発掘されたモザイク画など、考古学的に高い評価を認められた品を多く所蔵しており、「チュニジアのルーブル」とも言われています。
(写真:左:中央:右) ローマ時代のモザイクは宗教画やギリシア神話に基づいたもの、日常生活を記録したものが中心。立体感があり、色鮮やかです。
チュニスを後にし、2つ目の目的地・ケロアンへ向かいます。
この日の晩は、ケロアン随一の高級ホテル、要塞の城の名にふさわしい「オテル・ラ・カスバ」に宿泊です。
お部屋の壁はタイル貼りでムードたっぷり。シーシャ(水たばこ)も楽しめるバーあり、プールあり。
朝は5:00に大音響のコーランで起こされ・・・。初めてイスラム教国に来たんだなと実感した瞬間でした。
(写真:左) プールもあり!要塞のリゾートホテル
(写真:中央) タイル張りの薄暗い部屋が雰囲気抜群!
(写真:右) りんご味のシーシャはとっても美味!
チュニスの南165kmに位置するケロアンはイスラム世界ではメッカ、メディナ、エルサレムに次いで4番目に重要な聖都です。
北アフリカ最古のモスク、グランド・モスクをはじめ、9世紀のアグラブ朝時代に造られた貯水池、モハメッドの同志で聖者、アブ・ザマエル・ベラウィが眠るシディ・サハブ霊廟など見所いっぱいです。
(写真:左) 現在も市民の水源になっている貯水池
(写真:中央) マグレブで最も美しい霊廟といわれるシディ・サハブ霊廟
(写真:右) グランド・モスクのミナレット
ケロアンの観光を終えた後、一路タメルザへ向かいます。その途中にあるスベイトラを訪れました。スベイトラはケロアンの南西約100kmにあるチュニジアに残る一番新しい大廃墟都市の遺跡です。7世紀の半ばにイスラム教の布教を目的としたアラブ軍が侵略した最初の都市でもあります。
(写真:左) 3世紀に造られた劇場
(写真:中央) 神殿群への入口となるアントニウス・ピウスの門
(写真:右) 左からミネルバ、ジュピター、ジュノの神殿群
スベイトラを後にし、一路タメルザへ向かいます。アルジェリアとの国境に近い山岳オアシスがあるタメルザ峡谷には1969年の3週間にも及ぶ大洪水によって廃墟となってしまったベルベル人の村落もあります。
この日の晩はタメルザにある4つ星ホテル「タメルザ・パラス」に宿泊です。ベルベル人の旧村を眼下に望む壮大な眺めが特徴のホテルで、周囲の景色に溶け込んでいる外観の美しさにも定評があります。
(写真:左) プールもありホテルライフも充実!
(写真:中央) 暖色系のレイアウトで落ち着きます
(写真:右) 部屋からベルベル人の旧村が見えます
今日は山岳オアシスの観光です。実に平坦で荒涼とした大地が延々と続き、周りの景色に飽きてきたころに突然緑のナツメヤシのかたまりが出現するオアシスがあります。まずは観光列車に乗って山岳地帯を観光しました。
メトラウイの駅から出発する観光列車「レザー・ルージュ」はその名も「赤いトカゲ」。さぞかしおどろおどろしい列車なのだろうと心配しましたが、実際はまったく正反対でフランス植民地時代の名残のようなおしゃれでかわいい観光列車でした。小豆色の車体の中は1両ずつ内装が異なり、木のイス、赤いビロード張りのイス、ハリーポッターに出てくるような個室のある車両もあり、席選びに迷うところです。
(写真:左) 小豆色のおしゃれな車体
(写真:中央) 途中で列車を止めカメラタイムもあります
(写真:右) グランドキャニオンに似てます
(写真:左) プールもありホテルライフも充実!
(写真:中央) 暖色系のレイアウトで落ち着きます
(写真:右) 部屋からベルベル人の旧村が見えます
車両によって内装が異なる「レザー・ルージュ」。全席自由席のため早い者勝ちです
山岳オアシスの観光が終わり、トズールへ向かいます。トズールからは「スター・ウォーズ」や「イングリッシュ・ペイシェント」の撮影地をめぐりました。
(写真:左) らくだ岩(オング・エル・ジャメル)
(写真:中央) 塩の湖(ショット・エル・ガルサ)
(写真:右) スターウォーズのロケ地
トズールでの滞在の後、今日は長距離を移動し、一気にスースまで向かいます。旅も終盤です。トズールからドゥーズへ向かう途中、北アフリカで最大の塩湖であるショット・エル・ジェリドを通過しました。冬の雨季の間には、ショット・エル・ジェリドには水をたたえた湖が出現しますが、あいにく茶色く湿った、どこまでも平らに広がる大地しかみることができませんでした。
ショット・エル・ジェリドを通過し向かったのはドゥーズ。ここドゥーズでは町の南に広がる砂丘でらくだ乗りが体験できます。遊牧民の衣装を身にまとって、らくだに乗って砂丘越えの始まりです。
(写真:左) らくだ岩(オング・エル・ジャメル)
(写真:中央) 塩の湖(ショット・エル・ガルサ)
(写真:右) スターウォーズのロケ地
ドゥーズを後にし、マトマタへ向かいます。かつてマトマタとその周辺には非常に変わった住居形態をもつベルベル人が住んでいました。
ベルベル人とは古くからこの地に住んでいた北アフリカの先住民族で、12~13世紀に過激なアラブ民族に追われる身となってしまい、その敵の目をごまかすために地面に大きな穴を掘り、穴の側面に避難用の横穴を掘り、身を隠して住んでいました。それが後に村へ発展し、現在も少数残っています。
(写真:左) 敵から逃れるために造られた頂上の村
(写真:中央) 上から見た穴居住宅
(写真:右) 今でも穴居住宅に住んでいる人もいます
マトマタの観光を終え、ローマ時代に剣闘士の戦い、奴隷や罪人と猛獣の戦いなど、残忍な闘技が頻繁に行われたエル・ジェムにある円形闘技場(コロセウム)を訪れました。
比較的低層の建物が多いエル・ジェムでは、このそびえ建つコロセウムだけが目を引く建造物であり、周りに何もない分、なおさらその巨大さが強調されています。
(写真:左:中央:右) ローマにあるコロッセオよりも保存状態がよいとされているエル・ジェムのコロセウム
エル・ジェムの後、最終宿泊地のスースへ向かいましたが、すでに午後7時を過ぎており、人もまばらで観光する時間がありませんでした。世界遺産に登録されているスースのメディナの外壁だけカメラに収めてきました。
(写真:左) 世界遺産・スースのメディナの外壁
(写真:右) メディナの中は迷路状態です
スースを後にし、チュニスへ戻ってきました。
チュニジア大周遊の旅も終わり、名残惜しい帰国です。ところが、チュニスからドーハ行きの飛行機が機材故障で4時間半も遅れ、何とドーハから関西行きの飛行機に乗れなくなってしまいました。
仕方なくこの日はドーハに泊まることになってしまいました。
チュニスで預けたスーツケースはドーハでピックアップできず、着の身着のままでドーハでの1日を過ごすことになりました。
カタール航空で用意してくれたホテルに丸1日もじっとしていることもできず、ドーハの町へ繰り出しました。
(写真:左) 建設ラッシュのドーハ
(写真:中央) ドーハは真珠で栄えた都市だったのです
(写真:右) ショッピングモールにはカルフールも
ドーハは5年前のドバイにそっくりで、現在いたるところで工事をしていました。
ドーハにはデラックスホテルが少ないため、国際会議などの誘致の時期はホテルも軒並み満室でフル稼働しているとのことでした。
シャングリラやクラウンプラザなどのホテルも建設中で、5年後にはドバイと並んで中東のリゾートとして売れるはず!と思ってしまいました。思わぬドーハ滞在でしたが、いい情報を仕入れることができました。
(写真:左) 1993年ドーハの悲劇の舞台です
(写真:中央) シェラトン・ドーハの視察もしました
(写真:右) ドーハの街並み。遠くは建設中の高層ビル群
ドーハでの1日も終わり、ようやく日本へ帰れます。
(写真:左) 1週間ぶりの日本食です(機内食ですが)
(写真:中央) パキスタン、チベット上空を通り日本へ
(写真:右) もうすぐ到着。朝食の時間です
チュニジアという国の名前は聞いたことがあっても、一生のうちでなかなか行くことができないチュニジアへ行かせていただくことができて、そのチュニジアの素晴らしさを体験してくることができました。治安もとびきりよく、チュニジアの人も皆親切で、日本人の私たちを快く迎えてくれました。
この研修旅行でもっとも驚いたのは、ツアーガイドのロトフィさんです。日本の滞在経験があっても、あそこまでの日本語は使いこなせないと思うほど、時にはオヤジギャグも飛ばす愉快なガイドさんでした。私も含め日本語ガイドに求めるものはこちらが何かを聞いたときに的を得た回答が返ってくるかです。いくら巧みに観光地の説明を日本語でされても(それはそれで満足なのですが)、質問にまともな回答が返ってこないのは、少し残念な気がします。その点ロトフィさんは素晴らしいと思いました。チュニジアという国にまで日本語ガイドが浸透している今、チュニジアも遠い国ではなくなったのではと思います。
日本人観光客がまだまだ少ない今、忙しい毎日から離れ、心と体の休息をチュニジアでしてみませんか?きっと日常からのエスケープになるはずです。