<スペイン編 その1>
http://stworld.jp/earth_info/ES/diary/508df339a68b94.70837300/
より続く
バスクをあとに、ピカソの描いた”ゲルニカ”の本物を鑑賞、マドリーの夜はハモンセラーノ、ハモンイベリコに舌鼓をうち、翌日はダリ・ワールドにどっぷり漬かります…。
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昨日とほぼ同じ時刻に目覚め、2日間お世話になった快適ホテルをチェックアウト、昨日とほぼ同じ時刻にRenfeのAbando駅プラットホームへ。エスカレータを降りて、向かって左側の5線はセルカニアス(通勤線)専用で、ホームの中へは自動改札を通ります。右側の2線が長距離線で、ホームの先端で係員がきっぷをチェックしてから中に入ります。スナップを終え、列の最後について、係員にユーレイルパスと指定券を提示します。すると何やらバスク語で言われました。○△※×□…全く理解でなかったので、「全くわかりません。」という表情を作ってみます。するとおそらく駅の助役さんだと思うのですが、エラそうなセニョールがやってきて、係員と一言ふたこと話したあと、私に英語で話しかけます。「ユーレイルパスの台紙の部分に、自分の乗る列車を記載しなければいけないよ…。」
全く予想外の言葉に、半ば理解できずにいたら、彼は私のパスの台紙を開いて、ここに「10/10 8:57 BILBAO MADRID No.4086」と記入するように、とボールペンを渡します。私も何回もユーレイルパスを使って旅をしていますが、こんなことを言われたのは初めてです。列車に乗り込み、よくよくパスを見てみると、確かにそのような意味のことがユーレイルの規則の中に書いてあります。おそらくこの規則は、実務上有名無実化したものなのでしょう。ドイツでもフランスでも、そのような指摘を受けたことはありませんでした。しかし逆に、バスクの人々の勤勉さ、真面目さを、最後の最後に触れることができたような気がして、とてもいい経験をしました。
写真左…乗車したAlvia #4086の受付
写真中…その列車
写真右…Bilbao Abando駅の美しいステンドグラス
列車の指定された席はPreferente Class(1等車)の1人掛けの席でした。発車前に、パスの台紙へ、残りの乗る予定の列車の記入を済ませました。8:57定刻、Abandoの駅を出発しました。次の停車駅、Miranda de Ebroまでは1時間半くらいノンストップです。動き出してからしばらくして、車掌さんが新聞を配り、続いてヘッドフォンを配って歩きます。スペイン語は全く読むことが出来ないので、ヘッドフォンだけ受け取り、肘掛のジャックに差し込むと、フラメンコの音楽のようなものが流れてきます。どうも航空機のサービスを意識しているようです。
続いてこれも機内食にそっくりな朝食トレイが配られます。アグア(飲料水)とナランハ(オレンジジュース)とどっちがいいか?と聞かれたので、ナランハをもらいます。半ば覚悟はしておりましたが、パンとクロワッサンを除けば、見事なまでに甘いものだけ、メインは甘甘クレープのクランベリーソースがけでございました。
Miranda de Ebroでは雨が降り出したと思ったら、30分ほどで止み、日が出てきました。ブルゴスでは、郊外に新しく作った駅に停車、本来ここからマドリーまでは短絡線があるのですが、列車はあえて遠回りをします。その方が早いからです。
ブルゴスからまた1時間走ると、Valladorid-Campo Grandeの駅に到着します。このAlviaという特急列車は、自動可変軌道装置というものを装備しています。ご存知の方も多いと思いますが、AVEが走る路線を除く殆どのRenfeの軌間(線路幅)は、1,668mmの広軌を採用しています。しかしAVEは他国との直通を目論んで建設されたので、フランスやイタリアと同じように1,435mmの標準軌で建設されました。やがてスペイン国内において、AVE網の拡大とともに、標準軌の部分が増えていったのです。日本で言えば山形新幹線や秋田新幹線と同じような手法です。しかし、日本では軌間の方を標準軌に合わせましたが、スペインでは走る車両の方を軌間に応じて変える手法を取りました。
とにかく、ここバジャドリ(バリャドリッド)からマドリー(マドリッド)までは、高速新線が開通していますので、AVEも走りますし、バジャドリより遠くから来る列車は、ここで車両の軌間を変えて、高速新線に乗り入れます。私の乗ったこのAlviaも、ものの数分で自動的に軌間を変え、バジャドリを発車しました。文字通り、人が変わったようなスピードで走りぬけ、Madrid-Chamartinの駅には2分ほど早着しました。
写真左…車内で配られたヘッドフォン
写真右…車内で配られた甘甘の朝食
チャマルティンの駅に来たのは、私の初・海外旅行、大学4年次の卒業旅行以来であります。当然殆ど何の記憶も残っておらず、構内の案内板を頼りに、コインロッカーを探します。ホームと反対の出口、タクシー乗り場の奥にそれを見つけ、ここでもセキュリティマシンを通してからロッカーに向かいます。ここでも一番小さな箱に収まり、3.1ユーロ。ここは23時でクローズするようです。
次の目的は「本物のゲルニカを観る」ことですので、レイナソフィア美術館(ソフィア王妃芸術センター)に行きます。レイナソフィアはアトーチャ駅の近くです。その前に腹ごしらえをしたいと思いますので、美術館の近くで軽く済ませることにします。
有効なユーレイルパスを持っていますので、わざわざメトロに乗る必要はありません。Renfeのセルカニアスに乗れば、3つ目がアトーチャです。ここ、チャマルティンは、長距離線とセルカニアスと、ホームや改札が分かれていません。そのままノーチェックでセルカニアスに乗れます。(ただし工事中ですので、近い将来は自動改札が設置されるかもしれません。)丁度C1線のPrincipe Pio行きが停まっていたので乗り込みます。わずか10分でAtocha到着。
Atochaの駅は、長距離線とセルカニアスとが完全に分離して、というか、建物自体も別ですので、Chamartinからセルカニアスに乗ってくると、そのままでは自動改札を通れません。近くの窓口にパスを提示して、改札を通る券を発行してもらいます。それを自動改札に挿入すると外に出られる仕組みです。
Atochaも先ほどと同様、20数年ぶりですが、その変貌振りはチャマルティン以上でした。スペインで最初にAVEが開通し、駅も新しくなったので当然と言えば当然です。ただ、このまま地図も何も持たずに歩き出す自信もなく、駅の案内所を探すことにしました。しかし、どこにも見つかりません。Atocha Renfeの駅舎、Atocha AVEの到着ホーム、メトロの駅、すべて歩きまわりましたが、案内所はありませんでした。仕方がないので、道の向かい側にたっている案内板の地図を見に行きました。大抵このような場合、地図と実際と、東西南北が逆さになっていることが多いので、あえて逆さに見て、美術館の方向に歩き出しました。じきに、Atocha大通りに出たので、先ほどの私のカンは正しかったことがわかりました。
しばらく大通りを北上し、メトロのAnton Martinの駅が見えてくると、その駅前にあるのが「生ハム博物館~Museo del Jamon」という名前のバル兼レストランです。このお店は20数年前からありますが、当時は街のもう少し南側に1軒だけあったと思います。それがウェブを見てみると、現在は市内に支店が4店もあります。ここでスペインの生ハムを堪能する、というのが、この旅の目的の1つでもありますので、レイナソフィアに行く前にここで軽く食べ、美術館のあと、別の支店を訪ねて食べまくる、という予定でした。
写真左…生ハム博物館 Museo del Jamon Atocha Branch
写真右…クロワッサンにJamon Serranoをはさんだものとフレッシュオレンジ
お店から少しアトーチャ駅の方に戻るように、路地を1つ入ると、レイナソフィアのシースルーエレベータが見えてきます。中央入口で6ユーロ支払って中に入ります。丁度建物は中央にパティオを抱く形で三方それぞれに展示の部屋が設けられていて、私の通った高等学校に雰囲気や様子が似ています。定石どおり1階から順に観てゆきます。展示は、あまり有名でない(私が知らないだけかもしれませんが…。)画家の絵をはさむようにして、ピカソ、ミロ、ダリの作品が配置されています。観る人を飽きさせない工夫がされているのでしょうか。しかし、このとき私が感じたのは、絵やオブジェよりも、「なんでこんなに係員の数が多いのだろうか?」ということでした。一部屋に平均3名の監視員が配置されていて、たまにひそひそ仲間内で話しています。スペインの失業率もギリシャに次いで多く、国立(王立)の施設で出来るだけ雇用するということなのだろうかと思ってしまいました。
とはいえ、1フロアの絵画やオブジェを観ると、かなりの体力が必要です。ゲルニカは2階の中央に鎮座しておりますが、このままではそこまでたどり着く前に力尽きてしまいます…。1階を観終わると、3階のテラスまで上がり、ベンチでしばし休むことにしました。そのとき3階テラスで出合ったのが、下の写真の一角獣(一角豚?)です。何かのイベントに出展したものとのことでした。
若干体力を回復したので、2階に降り、ここも順々に観ていきます。しばらくすると中央部の人だかりの前に、かの”ゲルニカ”はありました。
「これがゲルニカです!」
と、ここで画像を出したいのですが、当美術館で、ゲルニカ周辺だけは一切撮影禁止となっております。遠くからズームで撮影すればいいだろう、という方もおられるかと思いますが、実際かなり遠くから撮影を試みても、至るところにいらっしゃる監視員の皆様から注意されておりましたので、本体の撮影一切禁止、ということでよろしいのではないでしょうか。
ということで画像はございませんが、かなりの時間、本物の絵の前で佇み、昨日のゲルニカタウンでのことを回想しておりましたことは言うまでもございません。
写真左…レイナソフィア内部。基本的に白壁に絵画、という構図です。
写真中…その中で私が心魅かれた1枚の絵画(作者不詳)
写真右…3階テラスの一角豚オブジェ
レイナソフィアでの鑑賞を終えて正面広場に出たのは、なんと19:30を過ぎていました。やはり大きな美術館を1日に複数かけもちするのは、普通の人には無理だと思いました。
例のお店、他の支店に行ってみよう!という目論見を実行している時間はなくなりました。先ほどのAtocha支店へ引き返します。それでもまだ20時前。スペインのバルが賑わうにはまだ時間が早いようです。でも今度は例のものをお腹一杯食べなくてはなりません。基準階の立ち飲みでは雰囲気が出ませんので、カウンターのセニョーラに上を指差し、「1階に行ってもいいですか?」とゼスチャー。うなずいたので1階に上がります。まだ客は誰もいません。照明も空調も入っていません。この日はビルバオに負けず劣らず晴天で、日中の気温は30℃近くまで上がったのでは、と思える日でしたので、空調がないと蒸し風呂のようです。私の後ろから先ほどのセニョーラが上がってきて、照明と空調を入れてくれました。メニューを差し出されたので、Jamon Serrano盛り合わせ1皿、Jamon Iberico盛り合わせ1皿とセルベッサの大をお願いしました。パンはかごに入れて出してくれ、食べ放題です。お皿が運ばれると、およそ3~4人前の量に感じられます。それでもビールとハムと付け合せのパンと、交互にひたすら食べまくりました。
食べまくっていても、1階には私のほか、誰も入ってきません。皆さん基準階で立ち飲みしているようです。先ほどのセニョーラも下に戻ってしまいましたので、セルベッサのおかわりをもらいに、自分で下に下りました。
生ハム盛り合わせ2皿、セルベッサ1.5杯と仕上げのカフェで20ユーロそこそこでした。それぞれの値段を見ると、Ibericoのお皿が17ユーロ、それ以外のすべてが残りの勘定、ということでした。日本で同じものをそれなりのお店で注文すれば、五千円は下らない勘定になるのではないかと思います。
写真左…Jamon Serrano盛り合わせ
写真右…Jamon Iberico盛り合わせ
Atocha駅に引き返す間に、スーパーマーケットがありましたので今晩の飲料水を仕入れます。さっきあれほど塩辛いものとアルコールを摂取しましたので、コンガスは必需品のように思います。1リットル0.3ユーロ弱というお水がありましたので、それをつかんでレジへ。(あとで寝台の中で飲んでみたところ、この水には甘い味がついていました。丁度サイダーを飲んでいる感じです。でもサイダー売り場は別にありましたので、これは味の付いたガス入りの水で、サイダーとは別物なんだということなのでしょう。スペイン人の感覚も日本人にはあまり理解できません…。)
夜行列車の時間が近づいてきましたので、Chamartinへ戻ります。今度は自動改札の前に窓口があるので、そこで改札を通る券をもらいます。そこを自動改札で抜けてしまうと、あとはフリーです。フリーなんですが、Atocha駅はセルカニアスの途中駅ですので、南行きの列車と北行きの列車が混在してやってきます。○○行きです、と表示板に出ていても、○○が南なのか北なのかわからないので、路線図を探して、表示板と照らし合わせます。5分後に北行きの列車があるとのことで、そちらのホームに下ります。およそ10分でChamartinに戻ります。
乗る予定の列車のホームはまだ表示されていません。コインロッカーから荷物を取り出し、待合ベンチで待ちます。私の乗る予定の列車の前に、ポルトガル方面行きの夜行列車の改札が始まりました。どうも私の乗る列車は、ここを出発する最終のようです。
しばらく待って、ホームが表示されると、皆さんいっせいにホームに移動します。マドリー始発のフランスとの国境セレベール行き夜行列車は、1等座席車、2等座席車、2等クシェットの設備しかありません。空いている1等座席車にするか、完全に横になることの出来る2等クシェットにするか、予約時点では迷いましたが、完全に横になることができる、が勝ちまして、寝台にすることにしました。
乗り込むと2等寝台なので、3段ベッドが2列並んでいて、1室6名定員です。私の寝台は中段でした。クシェット車は1両しかつないでいませんので、車内は満席でした。中段の高さではスーツケースも開くことは出来ませんので、足元に荷物を置いて、早々に横になりました。幸い改札も発車後すぐに済みましたので、狭い中段にもぐりこんで、早寝ということになりました。
写真左…Madrid-Atocha駅の窓口。ここで改札券をもらいます。
写真中…2等簡易寝台車
写真右…2等簡易寝台車のドア
昨晩は殆ど身動きが取れないまま、寝転んだ状態で一夜を過ごしました。同室の皆さんは殆どBarcelona Sants駅で降りてしまい、私ともう1人の若者だけが残りました。残ったというより、彼が起き出したのは、バルセロナを発車してからですので、もしかしたら寝過ごしたのではないかと思い、思い切って聞いてみました。「ムッシューどちらまで?(ちなみにフランス語で)。」「ジローナまでだよ。」ジローナはバルセロナとフィゲラスの間にある一番大きな街です。程なくジローナに到着し、彼は眠そうな目をこすりながら降りてゆきましたが、今日も少し列車は遅れているようです。
定刻より20分遅れの10:15頃、フィゲラスに到着しました。このまま乗り続けていれば、ポルトボウからセレベールへ直通しフランスに行くことが出来ます。フィゲラスはスペインに来るたびに来ていますので、さすがに記憶ははっきりしています。駅の中のカフェで、例のカヌレとカフェコンレチェで朝食。このカヌレは今まで立派に務めを果たしてくれました。
さあダリ美術館へ!と思い、コインロッカーを探します。丁度観光客が駅の係員にコインロッカーの場所を聞いていましたので、耳をそばだてていると、この駅にはコインロッカーはない、と言っている様子。さすがにスーツケースを引っ張ってダリ美術館には行けないな、と思っていると、道の向こうにバスターミナルが見えました。
今日はお昼過ぎのTGVでパリへ戻ります。TGVは、この前郊外に新設されたVilafantという駅から出ます。そこへはこのバスターミナルから連絡バスで行きますので、美術館のあと、ここに戻ってくれば良く、ここにコインロッカーがあれば全く問題ありません。建物の中に入ってロッカーを探します。目の前にコインロッカーを表わすピクトグラムがあったので、そちらへ歩いていくと、どうも老朽化したためにすべて廃止したと張り紙があります。これは困ったと後ろを振り向き、バスの事務所をみると、そこに「Consigna」と書いてあり、窓口のセニョーラにお願いすると2ユーロで預かってくれることになりました。ここで預かってもらえないことには、不便さはバイヨンヌの比ではありません。
ようやく街の中心に向かって歩き出します。歩き出すとゲルニカと同様、大きな市場に出ました。こちらは吹き抜けの巨大テントの中に様々な屋台がひしめき合っているような感じです。(実際は建物になっていてテントではありません。)さすがに実りの秋です。野菜、果物、生花があふれ、ハムやソーセージが吊るされ、魚介類も生のまま売られています。マドリーと違いここは海の近く、魚市場から直送されてきたものでしょう。
市場のあるカスティーリョ通りからランブラ広場に出て、北にしばらく歩くとダリ劇場美術館の奇抜な建物が見えてきます。
サルバドール・ダリについてはご存知の方も多いと思いますので、長々と説明をするよりも、何点かの写真を見ていただく方がよろしいかと思います。(これほど著名な芸術家の専門美術館が、全館撮影OKというのも珍しいと思います。)
写真左…フィゲラスのバスターミナル外観。荷物を預かっていただき感謝!
写真中…フィゲラスの市場
写真左…街中のダリの作品。こんな遊び心あふれる作品が街の至るところにあります。
写真左…ダリ劇場美術館外観。卵の家という別称もあります。
写真中…中庭にある車内に雨が降る自動車
写真右…内部のとある壁画
写真左…遠くから除くとマリリンモンローに見える仕掛け
写真中…階段で上に上がりながらみると人の顔
写真右…体に引き出しがあるミロのヴィーナス
このような丸い瓶に絵を映す手法は、ダリの得意とするところ
今回絵画の写真を殆ど撮りませんでしたが、ダリの絵画の基本的なコンセプトは、妻ガラへの深い愛情と、抽象的な事象を具体的物体に置き換えて表現する隠喩です。その中で、彼らが生まれ育ったカタゲス、そしてポルトリガの街の風景画に、私の旅心がそそらずにはいられません。このフィゲラスという街にはもう何度も来ていますが、ここから海の方にバスで1時間ほど行くとあるこれらの街に、いつかは必ず行ってみたいと思います。
ダリ・ワールドを堪能したあと、先ほどのバスターミナルまで戻ります。途中のスーパーマーケットで、今度は味のついていないコンガスを購入、昼食にはバスターミナルの中にあるケバブ屋さんで、ファラフェルケバブを求めます。最初はターミナルの中で食べていこうと思いましたが、注文が立て込んでいて、自分のものが出来上がるまで15分くらいかかりそうなので、持ち帰りにしてもらい、TGVの中で食べることにしました。
13:40にVilafant行きの連絡バスが出ます。途中ダリ美術館の近くのランブラ広場のバス停からも乗ることが出来ます。ものの15分ほどでVilafant駅前に到着。
この駅は、フランスのTGVがスペインのバルセロナまで延伸するうちの仮の終着駅です。近い将来バルセロナまで、乗り換え無しで昼行のTGVが行きかうことになります。駅舎に入ると右手にきっぷ売り場、左手にすぐセキュリティマシーンがあり、そこで荷物を通し、きっぷのチェックを受けてからホームに上がります。まだ工事半ばで、極端な話し、それ以外の施設はありません。やることもないのでホームにあがります。
TGV-Duplexが既に入線していました。ホームに上がると、バルセロナの方向からRenfeの列車がTGVの反対側に到着しました。おそらくバルセロナからの連絡列車なのでしょう。現在フィゲラス・パリ間直通のTGVは1日2本の設定です。
指定された席は、進行方向を向いてはいますが、1階席です。そういえばオステルリッツ駅で指定を取ってもらう時、進行方向のことばかり頭にあったので、TGVがオール2階建のDuplexであることまで意識していませんでした。2階の方が眺めがいいのですが仕方がありません。おそらく途中のモンペリエあたりからビジネスマンで満席になるはずです。
定刻14:20、静かにFigueres-Vilafantを発車しました。昼食のファラフェルを開く間もなく、私のスマホから、国境を越えた時に鳴るアラームが流れ、スペインをあとにしたのでした。
写真左…連絡バス。真ん中の青いバスがそれです。
写真中…Figueres-Vilafant駅。仮の終着駅
写真右…オール2階建 TGV-Duplex
<ベルギー編>
http://stworld.jp/earth_info/BE/diary/50923711dc5f37.90393768/
に続きます。